近藤さんが亡くなったらしい。
3歳から何故かずっと可愛がってくれた、近所に住んでいたおばさんだった。
お互い転勤族で、引っ越して近所のおばさんじゃなくなっても、私のお誕生日のたびに、見たことがない凝ったかわいいバースデーカードを送ってくれていた。大学の卒業式にも来てくれてた。なぜ? というくらい可愛がってくれていた。
近藤さんの家にはレコードがあって、大きい車輪のついたコーヒーミルがあって、オープンカーに乗っていて、旦那も含めて変わりもんなんだと思うんだけど、すごくおしゃれだった。そういうものがうちにはなかった。
私は子供なのに、おしゃれなティーカップとかを使わせてもらってたし、スプーンを使ってどういうふうにスープを飲むかを教えてもらった。練習させてくれた。
刺繍が趣味で、フェルトで作ったお弁当箱や野菜のおもちゃをもらった。すっかり存在を忘れたそれを、大人になってから何かで見て「懐かしい!」と言った話を母が近藤さんに伝えたら、それをまたもう一度作ってくれて、送ってくれたりした。なぜ?
たまたま引越し先で近所になった家の子供のこと、そんなにずっと可愛がってくれるのなぜ?結婚式にも来てくれて、おばさんの身体にはデカすぎる一眼レフを振り回して撮ってくれてた、バッチリ明るくパキッとした綺麗な私の写真を、デカく引き伸ばして実家に送ってくれたのなぜ??35歳のときに個展したやつ知らせてなくて、後から本とポストカード送ったら「行きたかった!」ってメールくれるのなぜ??もう3歳じゃないのに…
でもそれが、最後の連絡になっちゃった。
体調悪いって聞いた時に「なにもかもご遠慮します」って言われても、連絡すればよかった。
でも弱ってること知られたくないかもしれないってお母さんが言ってて、それでもやっぱ手紙でもメールでも送ればよかったかもしれない。
でももう死ぬかもしれないときにそんなこと…もっと早く、一度でも近藤さんのお誕生日にプレゼント贈ればよかった。誕生日がいつなのかも知らない。
もう2度と感謝伝えられないんだと思って、こんなにありがたいと思ってるのに、それを知ってもらえないままお別れになってしまった。
してもらったことがずっと残る。してあげられなかったと思ってしまう。
もしかして、なぜ?ってことないのか。なぜって言われてもって感じなのか?え、お返しがなくても好きでいることってできる?「喋れる犬みたいな感じか?」くらいしか想像ができない。自分の子供ならなる?そんななる?他人でもなる?私は年をとったのに、そういうのがわからない愚かなまま。
そうしてもらったことは運が良くありがたいことだけど、ありがたいことで済ませてよいのか?
誰かに還元してあげなければいけないと思って、なんか好きだって思う、なんかやってあげたいって感じの人に、何かする時にこのことを思い出す。近藤さんにお返しする。ぜんぜんお返しではないんだが。


